日南地域(周辺)の文化遺産について

「飫肥」の地名は平安時代中期の「倭名類従抄」に宮崎郡飫肥として記されています。その範囲は、現在の日南市とほぼ同じであったと言われていま
す。現在の飫肥地区は古くから、「飫肥」の中心地でした。長期にわたり、
地域の政治的中心であったことから、城郭や歴史的建造物に加え、寺社やまつり、名物等の進行、習俗、文化等に関連する多様な文化財が重層的に存在し、飫肥城下町の歴史的風到や景観を形成しています。


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日南市飫肥伝統的建造群保存地区(国選定重要伝統的建造物群保存地区)

飫肥藩伊東家五万一千石の城下町として、江戸時代前期の城下町の地割が現在まで踏襲されています。街路に面した石垣や生垣、門がよく保存されています。九州で最初に国から重要伝統的建造群保存地区の選定を受けまし
た。

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〒889-2535宮崎県日南市飫肥3~10丁目

飫肥城跡(市指定史跡)

飫肥城は広渡川の上流である酒谷川が大きく蛇行した小盆地に突き出た丘陵上に築城されています。中世には、島津氏と伊東氏の抗争の舞台であり、近世には飫肥藩伊東家の居城として、日向を代表する城でした。

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〒889-2535 宮崎県日南市飫肥10丁目3番12号

八幡神社境内のクス(市指定天然記念物)

天正16年、伊東祐兵が飫肥に入城して伊藤家を再興した際に、その記念として祐兵が手植えしたと伝えられています。推定樹齢は約410年、樹高30m、幹周9.2mにもなります。

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〒889-2535 宮崎県日南市飫肥10丁目3番12号

五百禩神社(登録有形文化財)

本殿が完成したのは明治9年(1876)4月9日で、明治37年(1904)には幣殿及び渡殿を改築しています。五百禩神社の五百禩とは伊東祐持が西都の都於群に城を構えてから、最後の藩主伊東祐相まで535年経ていたため、500年祀るという意味で、祐相が名付けたと言われています。

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〒889-2514 宮崎県日南市大字楠原字寺之脇1番地1他

坂元棚田(国選定 重要文化的景観)

「酒谷の坂元棚田及び農山村景観」は、平成25年10月17日に重要文化的景観の選定を受けました。日南市の最高峰である小松山(標高989m)の南麓に位置します。周囲を飫肥杉林に囲まれた標高255~315mの斜面地に、高さ2m以上の石垣扉で区画された長方形の水田が、上下27段にわたって整然と作られています。

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〒889-2521 宮崎県日南市大字酒谷地区

東郷のクス(国指定天然記念物)

大宮神社(東弁分)境内にあります。指定当時の大きさは、根周り24m、目の高さ幹囲8.8m、高さ27mとなります。樹幹は地上5mで三幹に分かれており、樹枝は東西19m、南北39mとなります。樹齢は700年以上(鎌倉時代の頃)と推定されています。

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〒889-2521 宮崎県日南市大字東弁分乙字五月田35番地

 

文化遺産配置マップ

 

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